引き寄せや、スピリチュアルな事柄について学んでいくと、
「今ここ」
という言葉に出会うことがあるでしょう。
これは、とても大切な言葉です。
ですが、それと同時に、とても間違えやすい言葉です。
そして、この世界のほとんどの人たちが、この大切な言葉を間違って理解し、間違った世界の中にとどまってしまっています。
あなたは、せっかくここに来てくださったのですから、ここでその間違いをしっかりと訂正し、その言葉が本当に意味する至福を受け取ってください。
《検索から来られた方へ》
このサイトの記事は、冒頭でお伝えしている重要な真理を前提としています。
お時間のある方は、こちらからお読みください。(※新規タブで開きます)
「今ここ」という間違い
「今ここ」とは、何でしょうか?
それは文字通り、
- 「今」という時であり
- 「ここ」という場所である
ということですが、それは一体、どういうことなのでしょうか?
この言葉は、
「引き寄せは今ここにしか起こらないので、今ここにとどまることが大切だ」
などという風に解釈されることがありますが、その解釈のどこに間違いがあるのでしょうか?
結論からお伝えすると、「今ここ」というものは「存在しない」のです。
存在しないところにとどまってしまうと、本当に存在している至福を経験することができなくなってしまいます。
「今」というのは、時間という枠組みの中の一点です。
「過去ではなく、未来ではなく、今この瞬間」
それが、「今」という概念です。
そして、「ここ」というのは、場所という枠組みの中の一点です。
「あそこではなく、そこでもなく、この場所」
それが、「ここ」という概念です。
- 過去についていつまでも考え続けていたり
- 未来の不安について考え続けていたりすると
今ここに現れる引き寄せを逃してしまう。
だから、「今ここ」にとどまることが大切だ。
それが、一般的な引き寄せの理論における「今ここ」という概念です。
ですが、
- 「過去ではなく、未来ではない、今この瞬間」
- 「あそこではなく、そこでもない、この場所」
は、〈私〉の世界にしか存在しないものであり、そこにとどまるということは、〈私〉を存在させ続けるということになってしまうのです。
とても微妙なところですので、丁寧にご説明していきたいと思います。
わかりにくくなってしまったときは、少し立ち止まって、理解できるまで丁寧に読み返してみてください。
「今ここ」は、どこにあるのか?
この世界は、あなたの意識の中に現れている、概念の現れ、イメージの世界だとお話ししました。
意識の中の空間に、実体を持った物体は存在しえませんから、例えば、あなたが何か硬いものに触っているというとき、それは実際には、意識の空間に、
「何か硬いものに触っている」
という思考が浮かび上がっているだけなのです。
「今」とは何か?
では、そのことを前提に、同じように「時間」というものについても考えてみましょう。
例えばあなたに、
「今朝、パンを食べた」
という記憶があるとします。
あなたがその記憶を思い出す瞬間に起こっていることを、丁寧に見てみると、それはその瞬間、
「あなたの意識の中の世界に、『今朝、パンを食べた』という思考が現れた」
ということです。
それは、他の思考と何も変わらず、ただ一つの思考という現れであるだけです。
確かに確認できることは、
「あなたが今朝、パンを食べた」
ということではなく、
「その瞬間、意識の中の空間に『今朝、パンを食べた』という思考が現れた」
ということだけです。
「いや、確かにパンを食べた記憶があるから、それは事実だ」
と思ったとしても、それもまた、意識の空間に現れた一つの思考に過ぎません。
どこまでいっても、すべては意識の空間に現れる思考でしかないのです。
となると、過去というものは、本当に存在するのでしょうか?
記憶とは「過去についての思考」に過ぎず、過去とは、意識の中に現れる概念でしかないのです。
つまり、過去というものは、実際にはどこにも存在しません。
未来というのは、もっとシンプルでしょう。
未来というのは、思い描くことしかできないものです。
それはまさに、思考、イメージでしかありません。
つまり、過去も、未来も、意識の中の世界に現れる概念、イメージ、思考の雲でしかないのです。
ということは、それらをまとめた「時間」というものもまた、単なる意識の中の概念でしかないということです。
「今」という言葉は、「過去ではなく、未来でもない時間」のことを指す言葉です。
「上」という概念がなくなれば、その反対である「下」という概念も同時になくなり、その中間のどの点を現す概念も存在しなくなります。
同じように、過去と未来がなくなってしまえば、その中間点でしかない「今という時間」も存在しなくなってしまいます。
「時間」は概念でしかなく、
- 「過去」は存在せず
- 「未来」も存在せず
- 「今」も存在せず
すべてはただ、意識の中の空間に現れる概念でしかないのです。
「ここ」とは何か?
全く同じように、「ここ」というのもまた、
「あそこではなく、そこでもなく、この場所」
ということですが、意識の中という、実体を持つものが何一つ存在しない世界に、「場所」というものが存在し得るでしょうか?
それは、映画のスクリーンの中に、さまざまな場所が映し出されるのと同じことで、
- 「そこ」や
- 「あそこ」や
- 「近く」や
- 「遠く」
はすべて、意識の空間の中に現れる概念、イメージでしかありません。
映画のスクリーンの中に、
- アメリカが登場しても
- ヨーロッパが登場しても
- 宇宙が登場しても
すべてはただ、同じスクリーン上に映し出されている映像であるだけであり、スクリーンの中には、アメリカもヨーロッパも宇宙も実在しません。
実在しているのは、スクリーンただ一つです。
それと全く同じように、どんなに遠くや近くの場所というイメージが現れようとも、そこは常に、
「形を持たない、無限の意識の空間であるだけ」
であり、場所というものは、単にその中に浮かび上がる概念でしかないのです。
「そこ」も「あそこ」も存在しなければ、「ここ」もまた存在しません。
「今ここ」にとどまるとは、どういうことか?
ご説明した通り、「今」も「ここ」も、意識の中の世界に浮かび上がる概念の一つでしかありません。
そこにとどまるということは、
「実在しないイメージの世界の中にとどまる」
ということであり、それは、
「〈私〉になりきった状態にとどまる」=「〈私〉という根本的な間違いを存在させ続ける」
ということなのです。
この深い誤解をご理解いただけたでしょうか?
少しわかりにくいところですので、ここまでのお話をしっかりと納得できるまで、ゆっくりとお考えいただきながら、丁寧に読み返してみてください。
- 「引き寄せは今ここにしか起こらない」とか
- 「今ここにとどまる」
という言葉は、何だかとてもスピリチュアルで神聖で、特別な響きの言葉に聞こえるかもしれません。
ですが、「今」と「ここ」が本当は何なのかを知っていただいたなら、本当はそこにとどまっていてはいけないのだということが、おわかりいただけるのではないでしょうか。
「今ここ」というのは、言ってみれば、あなたを意識の中の世界にとどめてしまう〈私〉=エゴの罠のようなものです。
本当に必要なことは、「今ここにとどまる」ことではなく、
「意識の中の世界に、『今ここにとどまる』という概念が現れているのを、現れているままに眺める」
ということです。
「今ここにとどまる」は悪いことではない
ここまでのお話と正反対のことを言うようですが、今ここにとどまるという意識を持っていただくこと自体は、決して悪いことではありません。
それは、以前お話しした、
「現れている概念のまま在る」
ということと、とてもよく似ていて、その違いは紙一重のものです。
ですから、「今ここ」という概念を頭に置いておくことで、「現れている概念のまま在る」という大切なことを思い出しやすくなるのであれば、それはそれで構わないのです。
ただし、その時には、
「これはただ、意識の空間の中に、今ここにとどまるという概念が現れているだけなのだ」
ということを、必ず合わせて確認してください。
その紙一重の違いとは、先ほどお話しした、
- 「今ここにとどまる」ということと
- 「意識の中の世界に、『今ここにとどまる』という概念が現れているのを、現れているままに眺める」
ということです。
ですから、「今ここ」という概念を、「現れている概念のまま在る」ということを思い出すための手助けとして活用したら、最後には必ず、その紙一重の違いをしっかりと確認するようにしてください。
プログラム受講者の方は、いつもの実践を行っていただくだけで、そのことはすぐに確認することができます。
受講者以外の方は、このページを読み返していただくか、行為者がいないことを確認する実践を行って、
「今ここにとどまろうとしている〈私〉が実在するのかどうか」
をしっかりと見極め、〈私〉がとどまろうとしている「今ここ」というものも、〈私〉の世界にしかない幻想であることを、しっかりと確認してください。
「今ここ」を特別視しない
「今ここ」にとどまることは、きちんとした理解が前提になっている限り、決して悪いことではありません。
ですが、同時に、それは単なる一つの概念でしかありません。
ただ、
「過去や未来について考えるのはよくないけれど、今ここにとどまるのはいいことだ」
というふうに、今ここを重視することで、時間と場所いう単なる概念を、現実のものであるかのように誤解し、過去や未来や、あそこやそこという、幻想の世界のステージを整えてしまわないようにしてください。
「今ここ」は何も特別なものではなく、そもそも実在するものでもないのですから、ただ一つの概念として、ありのままに見ていてください。
「今ここ」とは、「本来のあなたの立ち位置」に〈私〉が付けた名前のようなものです。
ただ、その本来の立ち位置にとどまっていれば、それは自然と最善の状態になるのですから、わざわざ「今ここ」という表面的な名前について考える必要などないのです。
「今ここ」も含めた、あらゆる概念の雲を、ただありのままに見守って、静かな澄み切った水面を保っていてください。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –