ここでお伝えすることは、あなたがこれまで信じてきた常識を、根底から覆すお話です。
その重要な真理を、できる限りスムーズに受け取っていただけるよう、
「これまで身につけてきた、あらゆる知識や常識を捨てて」
まっさらな気持ちで、読み進めていってください。
それでは、さっそく、根本的な誤解を解消していただくための、重要な実験をお試しいただきたいと思います。
実感しやすいよう、シンプルな実験を、何パターンかに分けて繰り返していきますので、
- 急がず
- 一つ一つ丁寧に確認して
これまであなたが信じてきたこととは全く違う、
「この世界の本当の仕組み」
を、しっかりと理解してください。
実験1
ではまず、何でも構いませんので、何か一つのことについて、頭の中で考えてみてください。
考え得ることは無限にありますが、その中から、
- 自由に
- あなたの思うままに
一つのことを考えてみてください。
さて、あなたは何を考えたでしょうか?
考えることは、人それぞれいろいろですが、その思考は、本当にあなたが選んだものでしょうか?
もちろん、あなたは、自分でそれを選んだと思っているはずです。
ですが、実際には、その思考は、
「どこかから、自動的にやってきただけ」
ではないでしょうか?
それは、あなたが、無数の選択肢が並んだ棚の中から、自由に吟味して選び出してきたわけではなく、
「ただ、どこかからあなたに、パッとやってきただけ」
ではないでしょうか?
仮にそれが、今、あなたの視界に入った物のことであったとしても、あなたの視界には、複数の物が映っているはずです。
にもかかわらず、その中からそれが選ばれたのは、あなたが、その中からすべての選択肢を吟味して、それを選び出したわけではなく、
「その選択が自然と起こっただけ」
であるはずです。
仮にそれが、普段からよく考えていることであったとしても、よく考えるようになった、その最初のきっかけは、
「あなたの意志に関係なく、どこか外側からやってきたもの」
であるはずです。
私たちは普段、
- 自分の意志で
- 自分の考えたいことを
- 自由に考えている
と思っていますが、実際には、
「思考は、どこかから、ただ自動的にやってきているに過ぎない」
ということです。
実験2
では、今度は、あなたの好きな食べ物を一つ思い浮かべてみてください。
あなたは、それを、「〇〇を好きになろう」と決めて、自分の意志で好きになったでしょうか?
それとも、ただ自然と好きになったでしょうか?
もちろん、これもまた、あなたが世界中のあらゆる食べ物の中から、厳選してそれを好きになった、などというわけではなく、
「ただ自然とそうなった」
に過ぎません。
実験3
では、今度は、こんな状況を思い浮かべてみてください。
誰かが、あなたが一番気にしている欠点について、鋭く指摘してきました。
その時、あなたはどんな反応をするでしょうか?
程度の差こそありますが、あなたはおそらく、何かしら不快な感情を感じるのではないでしょうか。
では、その時あなたは、不快な感情を感じることを、自分の意志で選んでいるでしょうか?
もちろん、誰もそんな感情を好き好んで選んだりはしません。
ですが、不快な感情は、その状況への自然な反応として、ただ自然と現れてしまうのです。
あなたが、
「不快な感情を感じるのは嫌だ」
と思ったとしても、
「不快な感情の代わりに、とっさに、深い喜びの気持ちを湧き上がらせる」
ということは、できないのです。
すべては「起こることになっているとおりに」起こる
思考は、自動的にやってきます。
それに対する反応もまた、あなたの意志とは関係なく、ただ自動的に起こります。
ある思考に対して、どう反応するかは、
- DNAと
- 環境によって
条件付けられていて、そのどちらも、あなたには選択することのできないものです。
もしあなたが、真面目な人になることになっているなら、あなたは、
- 真面目になる要素を持つ両親の元に生まれ
- 真面目になるような環境に育ちます
つまり、
- あなたが、几帳面なのも、大雑把なのも
- あなたが、短気なのも、のんびり屋なのも
- あなたが、辛いものが好きなのも、嫌いなのも
すべては、あなたの意志とは全く関係なく、
「ただ、そうなるようになっている」
というだけのことなのです。
自動運転のゴーカート
あなたはこれまで、生まれてからずっと、
「自分で考えて、自分で選び、自分で行動している」
と思って生きてきたでしょう。
ですが、実際には、
- あなたに、ある決まった思考がやってきて
- それに対する反応が自然と起こり、行動が自然と起こっているだけ
なのです。
今、あなたが「自分」と思っているその体は、自動運転のゴーカートのようなものでしかありません。
遊園地で、自動運転のゴーカートに乗っている子供は、
「完全に自分で操縦しているつもりになって」
ハンドルを切り、ペダルを踏みますが、実際には、その小さな車は、
- レールの上を
- 決められたとおりに
- 完全に自動で
走っているだけなのです。
あなたは、
「自分が、自分の意志で考えて、その車を思うままに運転している」
と、数十年もの間、信じ切っていましたが、実際には、
- ある角に差し掛かると、あなたに「右に曲がろう」という思考がやってくるようになっていて
- あるポイントに近づいてくると、「ブレーキを踏もう」という思考がやってくるようになっていて
あなたの体は、ただその思考の通りに、自動的に動いてきたに過ぎないのです。
もし、「そんな運命論は嫌だ」と抵抗して、
「右に曲がるという思考がやってきたけれど、そのまま従うのは嫌だから、左に曲がろう」
と思ったとしても、それは、
- 「右に曲がる」という思考がやってきて
- 「そのまま従うのは嫌だから、左に曲がろう」というプログラム通りの反応が起こった
ということに過ぎません。
どこまでいっても、この世界は完全な自動運転なのです。
「無人の自動運転」が示すこと
この世界は、
「自分の意志で行為をするたくさんの人間がいて、たくさんの意図が交錯し合っている」
という場所ではありません。
この世界は、唯一の源泉からやってくるインプットによって、自動的に動いている、
「完全な自動運転の世界」
であり、そこには、
「自分の意志で何かをしている行為者」
というものは、一人も存在していません。
源泉のインプットによって自動的に動いている人間は、
- 「行為者」ではなく
- 「源泉の意図を表現する媒体」
に過ぎません。
電気の力を表現する媒体である電化製品が、それ自体の中は空っぽで、誰もいないように、
「源泉の意図を表現する媒体である人間」
も、それ自体の中は空っぽで、そこには誰もいないのです。
「人間の体は空っぽで、その中には誰もいない」
ということは、もう一つの、とても重要なことを示しています。
それはつまり、
「あなたは体ではありえない」
ということです。