006|本当に存在するもの

幻想の〈私〉という行為者は、「幻想」なので、実際にはどこにも存在しません。

それはただ、あなたのイメージの世界の中に現れているだけの、実体のないものなのです。

 

そもそも、世界そのものが、

「無人の、単なる現れ」

でしかないのですから、そこにいる〈私〉も当然、

「幻想、単なる現れ」

に過ぎないのです。

世界とは本当は何なのか?

この世界は、あなたの意識の中に存在していて、それは単なるイメージ、現れでしかないということをお話ししてきました。

では、なぜそんなものが意識の中に現れるのでしょうか?

 

この「世界の正体」を知ると、〈私〉などというものは本当にどこにも存在しないのだということが、もう少しよくご理解いただけるようになるでしょう。


あなたの意識とは、限界のない無限の空間です。

そして、その無限の空間の中に、あらゆる種類のものが現れています。

 

そこは、あなたの意識の中の空間なのですから、そこに現れているものの全ては、

「あなたの意識の中にあるもの」

でできています。

 

あなたの意識の中には、

  • 「これまでに、すでに現れているもの」だけでなく
  • 「これから現れる可能性のあるすべてのもの」の材料

が存在しているのです。

 

そして、意識は無限なので、その可能性もまた無限です。


その、世界として現れる、あなたの意識の中にある無限の材料とは、無限の「概念」です。

 

そして、その無限の概念の中には、

  • 「形」という概念も
  • 「現れ」という概念も

含まれているので、あなたの意識の中にあるさまざまな概念は、今あなたが認識しているように、

「形を持って現れる」

のです。

本当に現れているもの

わかりやすいよう、簡単な例を挙げてお話ししてみたいと思います。

 

例えば、あなたが、

「野球の絵を描いてください」

と言われたとします。

 

具体的な表現はさまざまですが、そのとき、あなたが描く絵の中にはきっと、

  • ボールや
  • バットや
  • グローブ

といった道具もあれば、

  • 投げる人や
  • 打つ人

などの人もいるでしょう。

 

他にも、

  • グラウンドや
  • 応援する人たちや
  • スコアボードや
  • ベンチ

などが描かれることもあるかもしれません。


ですが、あなたが描いたのは、「野球」であるはずです。

 

仮に、あなたが描いた絵の中に、

  • ボールと
  • バットと
  • グローブと
  • 投げる人と
  • 打つ人

が描かれていたとしても、あなたは決して、

「私は、ボールとバットとグローブと投げる人と打つ人を描きました」

とは言わないはずです。

 

あなたは、ただ、

「私は野球の絵を描きました」

と言うでしょう。


このとき、あなたが描いた絵は、シンプルに、

「『野球』という概念の現れ」

なのであって、個別の道具や人は、ただ単に、必然的な構成要素として、その表現の中に含まれているだけです。

 

  • ボールもバットもグローブも描かず
  • 投げる人も、打つ人も描かずに

「野球」という概念を表現することはできないでしょう。

 

それらの道具や人は、本当は、個別の道具や人ではなく、単に「野球という概念の一部」なのです。


あなたは、鳥を見たときに、

「私は羽とくちばしと目と足としっぽを見ている」

などとは言いません。

 

それはただ単に、「鳥を見ている」だけであって、個別のパーツなどは、そこに必然的に含まれているだけです。

 

「羽もくちばしも目も足もしっぽもない鳥」

などというものは存在しません。

 

「鳥」という概念が表現されるためには、それらのパーツがそこに含まれているということは、

  • 必然的で
  • 自然で
  • 当然のこと

なのです。


つまり、そこに本当に現れているのは、

  • 「野球」や
  • 「鳥」

『だけ』であって、本来の自然な見方をしている限り、そこに「個別の構成要素」などという問題が生まれることはないのです。

個別の要素しか見られない〈私〉

本来のあなたは、

「自分の意識の中に現れている、完璧性だけが存在する世界の全体を、至福と平安の中で静かに見守り、楽しんでいる存在」

なのだとお話ししました。

 

それは、上の例で挙げた、

  • 「野球」や
  • 「鳥」

という概念の完璧な現れ全体を、ただ自然に眺め、楽しんでいる状態です。

 

前のページで、

「この世界は、全体として完璧なのであって、その一部だけを見ていても、その完璧性を理解することはできない」

とお話ししましたが、本来の状態のあなたにとっては、むしろ、「全体」という一つの選択肢しかなく、「部分」や「構成要素」などというものは存在しないのです。

 

ですから、あなたが本来の状態を忘れずにいる限り、あなたの目に映るものの全ては、完璧でしかありえません。


ですが、〈私〉という小さな限られた存在には、その「当たり前の全体」を見ることができません。

 

小さな〈私〉は、

「すべてを細切れにして、独立した無数の構成要素として見る」

ということしかできないのです。

 

巨大な壁に無数の絵が描かれていても、本来のあなたには、その全体の完璧性だけが見えますが、小さな〈私〉には、個別のパーツを一つ一つ順に見ていくことしかできないのです。

存在しない〈私〉が見る、存在しないもの

あなたが野球の絵を描くとき、その絵の中に描かれたものの全ては、「野球」です。

 

道具や人だけでなく、

  • フェンスの向こうに見える建物も
  • 空も
  • 雲も

ただ、「野球」であるだけです。

 

そのとき、もし空に飛行機が飛んでいれば、その飛行機もまた

「野球」

であるだけなのです。

 

「野球」という概念が表現されているその中に含まれるあらゆるものが、ただ「野球」であるだけなのです。


あなたが鳥を見ているとき、あなたの目に映っているもののすべては「鳥」です。

 

  • 地面も
  • 川も
  • 鳥が食べている葉っぱも
  • 後ろを通りかかった車も

あなたが、本来の自分の立ち位置を忘れずにいる限り、すべてはただ「鳥」であるだけです。

 

もっと正確に言うならば、そこには「鳥」という部分さえ存在せず、ただ完璧な世界という全体があるだけなのです。


ですが、小さなパーツを、個別のものとして認識することしかできない、小さな〈私〉には、無数の「個別のパーツ」が見えています。

 

ですが、先ほどお話しした通り、

「個別のパーツ」

などというものは、本来、どこにも存在しないのです。

 

そして、前のページまででお話ししてきた通り、

「個別のパーツを認識している〈私〉」

という存在もまた、どこにも存在しない幻想でしかありません。

 

それは、ただ単に、

  • 存在しない〈私〉が
  • 存在しない個別のパーツを見ている

という、全く存在しない、夢の中のような、空想の世界のお話でしかないのです。

>> 007|本当にすべき唯一のこと


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