ここで毎日、真理に触れ、日々大切な実践を繰り返していても、
「気がつけば頭の中でいろいろなことをグルグル考えていて、すっかり〈私〉になりきってしまっている」
ということが、毎日毎日、何度もでも起こります。
ですが、そんなことは気にする必要はありません。
大切なのは、
「そういうことが毎日毎日、何度でも起こっている」
ということに気がついていることなのです。
普通にしていたら、〈私〉の存在になど気がつくことはありません。
そもそも、自分自身と〈私〉というものが別のものだという話さえ、理解できないでしょう。
- そのことをしっかりと理解し
- 〈私〉の存在に気がつくことができている
というだけで、それ自体がすでに真理の現れの一部なのです。
ですから、まずはそのことを知って安心してください。
そして、気がついたときには、その都度このように対処していってください。
まず、いつものように、世界を意識の内に収めます。
でも、そうやっていても、しばらくすると、気がつけば何かを考えてしまっているかもしれません。
ではそこで、あなたが「何かを考えてしまっている」と思っているその出来事の正体を、確認しましょう。
あなたが認識できるものは、一つの例外もなくすべて、あなたの意識の中に存在しています。
あなたは実際に、毎日そのことをしっかりと確認しています。
ということは、その「何かを考えてしまっている」もまた、あなたの意識の中に存在しているものです。
あなたは、「〈自分〉が何かを考えてしまっている」と間違って思ってしまいますが、実際には、あなたの意識の中には誰も存在しえません。
ですから、そこに〈自分〉という人は存在しないのです。
あなたが、「〈自分〉が何かを考えてしまっている」と間違って思ってしまっているそれは、単なる、
「意識の中に浮かび上がった一つの思考」
に過ぎません。
意識は無限の可能性を秘めているのですから、そこにどんな思考という現れが浮かび上がったとしても、それはいいことでも悪いことでもなく、
「ただそうであるだけ」
の、自然な出来事です。
それは、青い空に雲が浮かび上がっているのと同じことです。
雲は、ただ静かに眺めていれば、形を変えながら流れて、やがてはあなたの視界から消えていきます。
ですが、あなたがその雲をどこまでも追いかけて、ついていってしまうと、
「あなたが追いかけているために」
その雲はいつまでもあなたの視界の中に存在し続けることになってしまうのです。
「雲が浮かび上がること」=「思考が浮かび上がること」
には、何の問題もありません。
それが、素敵な形をしていても、いびつな形をしていても、そんなことも一切問題ではありません。
雲は、空に浮かび上がるのです。
同じように、思考は意識の中に浮かび上がるのです。
ただ、それを追いかけずにいましょう。
どうせ、そんなものは、どこにも実在しないのです。
単なる意識の中の一時的な現れを追いかけて、追いかけてしまったことを反省する、などという無意味なことはやめましょう。
仮に、「現れた思考を追いかける」という出来事が起きたとしても、それもまた、あなたの意識の中に現れている一つの概念に過ぎないのです。
本当は、ただ至福と平安の世界が広がっているだけであり、そこにはいつ何時も、何の問題も存在していません。
思考を追いかけて、ついて行ってしまっていることに気づいたら、すぐにやめる。
そして、日々の実践を丁寧に行い、そんなことは本当は全く起こっていないことを、改めて確認する。
毎日、ただそれだけを繰り返していってください。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –