この世界は、完璧な自動運転の世界だとお話ししました。
眠っているときに見る夢の中の世界と同じように、そこではすべてが、ただそれ自体で自動的に流れていきます。
そして、この世界には完璧性しか存在し得ないので、すべては、
「ただそれ自体で自動的に、完璧に」
流れていきます。
それが、この世界の、ごく当たり前で、自然な状態です。
そのことをもう一歩、イメージしていただきやすくするために、例えを使ってもう少しお話ししていきます。
完璧な間違い
ではまずは、こんな光景を想像してみてください。
果てしなく続く広大な地面に、果てしなく続く巨大なあみだがあります。
それは、完璧性そのものの、完璧なあみだです。
そこでは、完璧なことしか起こりません。
あみだというのは、スタート地点を選んだ時点で、たどり着くゴールが決まります。
ゴールだけでなく、そこへ至るまでのすべての道筋が、スタート地点が決まったその瞬間に、すべて決まります。
それはまさに、
「思考が起こったその時点で、現れる反応が決まる」
この世界の仕組みと全く同じです。
あみだは、右へ行ったり左へ行ったりしながら、ゴールへ向かっていきます。
ですが、このあみだは完璧性そのものなので、右へ行っても左へ行っても、それは一つの例外もなくすべて、
「完璧なルートの一部」
でしかありません。
もしあなたが、
- 「右へ行きたい」
- 「右へ行くことが正解だ」
と思っていたなら、左へ行くことは「間違い」や「失敗」のように思えてしまうでしょう。
ですが、完璧なあみだには決して、「間違い」も「失敗」も存在し得ないのです。
「北にある北海道に行きたいと思って自動運転の車に乗ったら、車が南に向かった」
という出来事があったとき、完璧な全体像が見えない小さな個人には、それは「間違い」のように見えるでしょう。
ですが、車は南にある空港へ向かっているだけであって、そこで飛行機に乗り換えたほうが圧倒的に早く、スムーズに到着するのなら、南へ向かうことは完璧でしかありません。
そのことがわからず、
「南ではなく、北へ行くべきだ」
といって、車を無理やり北に向かわせたら、長時間の移動に疲れ果てて、到着は大幅に遅れることになるでしょう。
もしかしたら、途中に危険な道があるかもしれないし、思わぬアクシデントに巻き込まれてしまうかもしれません。
目的地がどこであろうと、自動運転の車が南へ向かったなら、南へ向かうことは100%、完璧でしかありえないのです。
「確定した」未知なる未来
この完璧なあみだは、スタート地点が決まった時点で、その先のすべての道筋がすでに決まっていますが、今目の前に見えているその地点以外は、すべて透明で、目には見えません。
実際には決まっているけれど、どうなるかは進んでみなければわからないのです。
それでも、すべてはすでに決まっていて、すべては完璧でしかありません。
「決まっている」というのは、
- 「誰かが定めている」とか
- 「そうなる運命だ」
というようなことではありません。
ただ、起こった思考に対して、どんな反応が現れるかが決まっているので、必然的に、すべてが「決まっている」という状態になるだけです。
1という数に2という数をかけたら、「2」という結果が現れることが決まっています。
その現れた2に、また2をかけたら、「4」という結果が現れることが決まっています。
そうやって、どんどん2をかけていったときの結果は、どこまでいっても、すべてすでに決まっています。
「まだ現れてはいなくても、結果は決まっている」
というのは、そういうことです。
すべてはすでに完璧に決まっていますが、その道をたどっている小さな個人には、目の前にあるその場所しか見ることができません。
ですから、夢の中の登場人物である小さな個人は、一つ一つの出来事を順番に見て進みながら、
- すでに見た地点を「過去」
- 今見ている地点を「現在」
- これから見る地点を「未来」
と名付けます。
そして、
「過去はもう戻れない、過ぎ去ったものであり、未来は未知のものである」
と定義づけます。
ですが、
- その人が「過去」と呼んでいる地点も
- 「現在」と呼んでいる地点も
- 「未来」と呼んでいる地点も
すべて、最初からずっとそこにあります。
- 「過去」はまったく過ぎ去ってなどいないし
- 「未来」はまったく未知ではないし
ただ、すべてが、
「今までも、今も、これからも、ただずっとそこにあり続けるだけ」
なのです。
あらゆる出来事が、ただ同時にそこに存在しているだけなのですから、つまり、その人がスタート地点に立ったその時点で、
「すべては、すでに成されている」
のです。
しかも、この世界には完璧性そのものしか存在しないのですから、
「すべては、すでに完璧に成されている」
のです。
完璧に現れる完璧な願望
目の前の限られた場面しか見ることができない夢の登場人物たちは、
「自分で車を思うままに運転しているつもりで」
現れる一つ一つの出来事を、
「自分次第で良くも悪くもなる、不確実な出来事」
として経験していきます。
ですが、実際には、ただ、
「すでに完璧に成されている、完璧な出来事の連続」
を、完璧な自動運転で、順番にたどっていっているだけなのです。
- 世界という、完璧に流れる、完璧に完成されたストーリーを
- 完全な自動運転の流れに乗って、少しずつ鑑賞していく
という、至福のプロセス。
それが、本来の自然な人生というものなのです。
- この世界には、完璧性しか存在せず
- すでに完璧に成された全体が、常にそこにあると知っていて
- それをただ、自動的にたどっているだけなら
一体、何をどう心配することができるでしょうか?
一体、何がどう不足することができるでしょうか?
そのことを、
「あなたが常に知っていたなら」
常に全てに満たされているあなたは、どんな願望も、持ちようがないのです。
それでも、もしその完璧な流れの中に、「願望」というものが現れたとしたら、
- それもまた完璧性そのものであって
- それは完璧なタイミングで、完璧にそこに現れているのであり
- その結果も完璧そのものである
以外にありえません。
そして、それが現れた時にすべきことは、
「完璧な願望が、完璧に形を成していくのを、静かに眺める」
ということ、ただそれだけなのです。



