洗濯物が干してあって、
- 〈私〉がタオルを見ている時、〈私〉はタオルです
- 〈私〉がシャツを見ている時、〈私〉はシャツです
- 〈私〉が、洗濯物全体を眺めている時、〈私〉は洗濯物です
〈私〉は、認識している概念そのものです。
〈私〉が洗濯物全体を眺めている時、〈私〉は洗濯物ですが、その眺めている対象がもっと拡大していくと、
- 洗濯物
- 洗濯物が干されているベランダ全体
- その背景に見えている街の景色
というふうに、認識する対象が広がっていき、やがては、
「個別のものを何も認識しなくなる」
ということになるでしょう。
その時には、〈私〉という個別の存在もまた、認識されなくなります。
つまり、〈私〉が存在しなくなるのです。
〈私〉とは「認識している概念そのもの」なので、そこに認識すべき個別の概念がなくなってしまえば、〈私〉もいなくなってしまうのです。
認識すべき個別のものが存在しない、全体として一つの世界。
これが、本来の自然な状態の世界です。
ですが、五感では何も認識していなくても、その時、何かを考えて、その思考を追いかければ、そのとき〈私〉は「その個別の思考として」また存在してしまうことになります。
「個別のものを見るのはやめて、認識する対象を広げていこう」
と、もし意図的に考えたとしたら、その時には、〈私〉は、その思考そのものとして、またそこに存在してしまうことになるのです。
おわかりいただけるでしょうか?
「何かをしようとする」のではなく、ただ、すべては概念の現れに過ぎないと知って、静かに見ていることです。
それを見ていると思っている〈私〉さえも、概念の一部なのだと理解して、静かに見ていることです。
世界を内に収めて、そこにいるように見えていた〈私〉も、単なる現れに過ぎないことを、改めて確認してください。
ただその繰り返しだけが、〈私〉という幻想をいつのまにか消し去っていってくれます。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –