「引き寄せが起こるためには、何もしないことが大切だ」
というような言葉を、お聞きになったことがある方もいらっしゃるかもしれません。
ここまでのお話の中でも、何度か「何もしない」ということをお話ししてきましたが、
「本当に何もしないとは、どういうことなのか」
そのことをきちんと理解しなければ、それは「何もしていないつもり」の逆効果にしかなりません。
ここで、その「何もしない」ということの「本当の意味」をしっかりと理解してください。
《検索から来られた方へ》
このサイトの記事は、冒頭でお伝えしている重要な真理を前提としています。
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「何もしない」とは行為の話ではない
ただ「何もしない」と聞くと、
- 「何もしないで寝ているだけ」とか
- 「何もしないでソファーに座って、じっとしているだけ」
のようにも聞こえてしまいますが、もちろん、何もしないとはそういう意味ではありません。
ですが、かといって、それは、
「引き寄せのために意図的に何かをすることをやめる」
ということでもないのです。
もちろん、引き寄せのために意図的に何かをするということは、自然な引き寄せの邪魔になってしまいます。
ですが、
「『だから』引き寄せのために何かをするのはやめよう」
というのは、何の意味もないのです。
行為は「する」ものではなく「起こる」もの
そもそも、私たちが「行為」と呼んでいるものは何なのかを、きちんと理解しなければなりません。
この世界は、完全な無人の自動運転の世界だとお話ししました。
無人なのですから、そこに「行為をする人」はいません。
無人の自動運転の世界の中では、行為は、
- 「誰かがするもの」ではなく
- 「自然と起こるもの」
なのです。
あなたは今、この文章を読んでいますが、それは、
「あなたが自分の意志で、これを読もうと思って読んでいる」
のではなく、あなたに「これを読もう」という思考がやってきて、その結果として、この文章を読むという出来事が、ただ自然と起きているだけです。
あなたが普段、「自分がしている」と思っているどんな行為も、実際には誰がしているものでもありません。
あらゆる行為は、本当は「誰の行為」でもなく、ただ意識の中の世界に自然と現れている、概念の表れでしかないのです。
引き寄せを邪魔するのは「行為」ではなく「行為者」
そこにどんな行為が起ころうと、それが自然な流れの中で自発的に起こるものである限り、自然な引き寄せという出来事を邪魔してしまうことはありません。
- 自然と起こる行為も
- 自然と起こる引き寄せと呼ばれる出来事も
どちらも完璧な世界の、完璧な流れの一部でしかないからです。
澄み切った川に、余計な障害物が置かれない限り、川は自然なままに、完璧に流れていきます。
ですが、そこに、
「〈私〉が〇〇をするのだ」
という、実際には存在するはずのない、幻想の〈私〉という行為者が現れてしまうと、その〈私〉の存在自体が、完璧な川の流れを乱す障害物になってしまいます。
その障害物が、静かにしていようと、何らかの行為をしていようと、
「そこに障害物がある」
ということに変わりはありません。
- 〈私〉が静かにしていても
- 〈私〉が何かをしていても
ただそこに〈私〉がいるということ自体が、完璧な引き寄せの流れを妨害してしまうのです。
〈私〉には、何もしないでいることはできない
とはいっても、実際には、〈私〉は静かにしていることはできません。
「野球をする人」は野球という概念そのものです。
野球という概念なしに、「野球をする人」が存在することはできません。
同じように、幻想の「行為者」である〈私〉は、「何らかの行為」という概念の一部としてしか現れることはできません。
ですから、そこに何もないとき、〈私〉が現れることはないのです。
では、先ほどお話しした「〈私〉が静かにしているとき」というのは何かというと、それは体を使った行為ではなく、「考える」という、
「一見静かに見える行為」
をしているときです。
それは、一見静かには見えますが、そもそも、この世界は実体を持ったものではなく、あなたの意識の中に現れているイメージの世界なのですから、
- 忙しく体を動かすことも
- 頭の中で忙しく何かを考えることも
全く同じことです。
「〈私〉がしている」という認識があれば、どのように見えようとも、それはすべて完璧な世界を波立たせる障害物でしかないのです。
つまり、行為の一部でしかない〈私〉には、「何もしない」ということは決してできないのです。
何もしないでいようとする〈私〉
〈私〉と「行為」は完全にイコールです。
つまり、本当の「何もしない」とは、そこに〈私〉を存在させないということです。
あなたが、間違って完璧な無人の自動運転の世界の中に、幻想の行為者であり、すべての障害物である〈私〉を存在させさえしなければ、すべては完璧に流れていくのです。
ですが、ほとんどの人は、
「自分は世界の中でいろいろな行為をしている個人=〈私〉だ」
と間違って信じ切ってしまっているので、その結果、
「〈私〉が、〈私〉の願望を引き寄せるために、「何もしない」ということをしようとしている」
というおかしな状態に陥ってしまっています。
たとえ「何もしないでいようとしていても」、〈私〉がそこにいるということは、完璧な流れが乱されてしまうということです。
それが、「何もしていないつもり」という落とし穴です。
〈私〉に、「何もしない」という「するべき行為」を与えてしまわないようにしてください。
そこに「行為」がある限り、〈私〉がいなくなることはありません。
完璧に起こる自然な至上の引き寄せの流れを、完璧なままに流れさせるためには、ただ、
「世界は意識の中に存在しているイメージに過ぎず、〈私〉など最初からどこにもいないのだ」
という事実を、しっかりと確認し続けること以外にないのです。
自然に起こる行為だけが、至上の引き寄せにつながる
何の意図もなく、ただそれ自体で自然に起こる出来事だけが、至上の引き寄せへとつながります。
それは、「行為」と呼ぶようなものではありませんが、強いて言うなば、
「あなたが一切関与しない、自然な行為」
と言えるかもしれません。
- 意図を持たず
- 頭の中で思考を巡らすことなく
体を通して、ただ自然と起こるその行為を、見守っていてください。
そうすれば、それは必ず、完璧な至福へと導いてくれます。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –