これまでに何度か、
「あなたと、あなたが見る世界は完全にイコールだ」
というお話をしてきました。
そのことは、「エネルギー」という言葉でご説明することができます。
ただし、このエネルギーという言葉には、この世界の中でさまざまな意味付けがされてしまっているため、注意して、丁寧にご理解いただく必要があります。
不十分な理解は、せっかく自然と流れ込んでくるはずの至福の流れを邪魔してしまう障害物にもなりかねませんので、ここでぜひ、丁寧に確認してください。
《検索から来られた方へ》
このサイトの記事は、冒頭でお伝えしている重要な真理を前提としています。
お時間のある方は、こちらからお読みください。(※新規タブで開きます)
エネルギーとは何なのか?
この世界は、あなたの意識の中という、形のない空間の中に浮かび上がっているものだとお話ししてきました。
そして、その意識というものは、限界のない、無限の完璧性そのものです。
この無限の意識の空間を満たしているもの、それが、このエネルギーと呼ばれるものなのです。
無限の意識の空間は「無限のエネルギー」で満たされています。
エネルギーというのは、形を持たず、潜在的な状態で、ただ無限の意識の空間を満たしています。
そして、その中で、ある瞬間に、あるエネルギーが活性化し、
「形を持ったイメージとして」
意識の中の世界に現れるのです。
つまり、
- エネルギーとは、意識の中の空間を満たしている無限の力そのものであり
- 形を持って現れているすべてのイメージもまた、そのエネルギーそのもの
だということなのです。
ですが、先ほどお話しした通り、このエネルギーという言葉には、この世界の中で本当にさまざまな意味付けがされてしまっています。
ですから、「エネルギー」という言葉を使ってご説明はしていきますが、言葉自体はあまり重視せず、より純粋に、
「意識の中の空間を満たし、あらゆるイメージとして現れる、潜在的な無限の力」
として理解していってください。
ただ意識のエネルギーだけが存在している
量子力学のページで少しお話ししましたが、この世界に現れているもののすべては、「唯一の源泉」から生まれています。
その唯一の源泉というのが、意識という空間を満たすそのエネルギーなのです。
物理学の世界でも、
「この世界のすべてはエネルギーである」
ということは、すでに解明されています。
意識の空間の中には、無限のエネルギーが「潜在的な形で」存在しています。
そして、その中で、ある瞬間、あるエネルギーが活性化し、意識の中に形を持って現れる。
それが、私たちが「世界」と呼んでいるものです。
量子力学の研究では、
「無から有が生まれる」
ということも言われていますが、その一見不思議に思える現象も、このエネルギーの本質を知れば、ごく自然なこととして理解することができます。
意識の空間を満たす、潜在的な状態のエネルギーは、人間から見れば「無」です。
そして、その中で、ある瞬間、あるエネルギーが活性化し、形を持って現れると、それは、
「無から有が生まれる」
ということになるのです。
つまり、世界とは、
「意識の空間に現れる、一時的に形を持って現れたエネルギーの集まり」
であり、確固たる実体を持ったものではありません。
「意識の中に浮かび上がる、実体を持たない現れ」
というのは、何かに似てはいないでしょうか?
頭の中で思い描く空想。
眠っている間に見る夢。
まさにそのとおりです。
この世界は、頭の中で思い描く空想や、眠っている間に見る夢と何ら変わりありません。
変わりないと言うより、実際に、この世界はまさに、あなたの空想であり、あなたが見ている夢なのです。
今はまだよく理解できないかもしれませんが、時とともに完全に理解できるようになっていきます。
私たちは、眠っている間に見る夢は、完全に実体のない夢とみなしますが、目覚めている間に起こる出来事は「確かな現実」だと考えてしまいます。
ですが、実際には、すべてはただ、意識の中の現れに過ぎないのです。
ただ一つ、「本当に存在している」のは、
「形を持たない、無限の意識のエネルギー」
ただそれだけなのです。
あなたとあなたが見る世界は、同じエネルギー
世界とは、いわば、無限のエネルギーの戯れのようなものです。
その自然な性質により、ある瞬間、あるエネルギーが活性化して、形を持って現れ、一定期間意識の中の世界を漂って、また潜在的な形に戻っていく。
それが繰り返されているのが、この夢のような世界なのです。
意識という空間の中に、無限のエネルギーが満ちているということを、イメージしやすいように例えるならば、
- 意識が海全体であり
- エネルギーが海の水であり
- イメージとして現れたエネルギーは海の波
のようなものです。
とはいっても、「海全体」は「海の水」そのものですし、「海の波」もまた「海の水」でしかありません。
存在しているのは意識のエネルギーだけなのですから、本当はそこには何の区別も線引きもないのです。
これはあくまでも、すべてを個別の要素としてしか見ることのできない〈私〉のための説明です。
最初にお話しした、
「あなたと、あなたが見る世界は完全にイコールだ」
ということを、この海の例えで言うならば、
「あなたとあなたが見る世界は、同じ一つの波だ」
ということです。
例えば、意識の中に満ちている、無限のエネルギーの一部が、一時的に活性化して「読書」というイメージとして現れるとします。
読書という概念がイメージとして現れるためには、
- 本を読む人と
- 読まれる本
が、必然的な構成要素としてそこに含まれていますが、この世界の中では、ただ何もない空間に、本を手にした人がフワフワと浮かんでいるわけではありません。
本と人だけでなく、
- その人がいる部屋や
- 座っているソファーや
- 飲んでいるコーヒーや
- その部屋にあるあらゆる家具や
- その部屋に漂う香りや
- 窓の外の景色や
- 降っている雨とその音まで
その一つのシーンに現れている、ありとあらゆる要素が「読書」という概念の現れに含まれているのです。
そして、そのすべてが「一つの波」=「同じエネルギー」です。
読書という、一つの出来事でお話ししましたが、このお話を拡大していくと、
「あなたが認識する世界、あなたを取り巻く世界のすべては、あなたと同じ波であり、あなたと完全にイコールだ」
ということになります。
あなたというのは、
「すでにそこに独立して存在している世界を、客観的に眺める人」
ではなく、本当は、
「現れている世界そのもの」
なのです。
〈私〉が完璧なエネルギーの完璧な現れを乱す
000からのご案内の中でお話ししていますが、無限というのは、
「欠けているものが一切なく、すべてがそこに含まれている」
ということですから、それはまさに完璧性そのものです。
そして、お話ししてきた通り、世界とはその完璧なエネルギーの自然な現れなのですから、世界というものの本質もまた、完璧性そのものでしかないのです。
世界とは、完璧性そのものである無限のエネルギーの完璧な現れです。
それは、誰も何もせず、ただ現れるままにしていれば、ただ完璧に流れ続けていくのです。
ですが、あなたが間違って、
「単なるエネルギーの波の一部であり、その出来事の媒体でしかない人」
を、自分自身だと思い込んでしまうと、そこに〈私〉という、本当はどこにも存在しない幻想の行為者意識が生まれ、あなたはその幻想の物語にとらわれることになってしまいます。
完璧なエネルギーの現れである世界に、〈私〉という幻想の存在が生まれることで、世界の完璧性が乱されてしまうのです。
繰り返しお伝えしてきている通り、〈私〉とは完璧性を乱す存在そのものなのですから、その〈私〉に、完璧な世界を見ることはできません。
〈私〉は常に、実際には存在しない不足や不安や不満ばかりを認識してしまうので、本当はすべてが満たされている完璧な至福の中に、
「引き寄せなければいけないもの」
を生み出し、それと同時に、
- 「引き寄せられない可能性」と
- 「引き寄せられないかもしれない不安」
などといった、おかしなものが生み出されることになってしまうのです。
エネルギーを〈私〉の「対象」にしない
最初に、不十分な理解は、至上の引き寄せの障害になってしまうとお話ししましたが、それは、
「エネルギーというものを、〈私〉が何かをする対象にしてはいけない」
ということです。
引き寄せとエネルギーの関係について調べようとすると、本当にさまざまなお話が登場してきます。
- 「エネルギーが低いと、幸せを引き寄せられない」とか
- 「引き寄せのために、エネルギーを高めましょう」とか
- 「周波数の高いエネルギーを取り込みましょう」とか
- 「宇宙のエネルギーを味方に付けましょう」etc
そういったことはすべて、〈私〉という幻想の存在が生み出している歪みに過ぎません。
先ほどお話しした通り、意識のエネルギーとは、
「存在するすべて」
のことであり、〈私〉というのは本当は、それ自体がエネルギーの波の一部でしかないのですから、
「〈私〉がエネルギーというものに対して何かをする」
などということは、ありえないのです。
そこを間違ってしまうと、〈私〉という本当は存在しない幻想の行為者の、歪んだ世界にとらわれてしまいます。
意識のエネルギーとは、存在するすべてです。
それは、存在しない〈私〉がどうこうしたり、考えたりする対象ではありません。
完璧なエネルギーの現れを静かに楽しむ
この世界は、あなたの意識の中に存在しています。
あなたの意識の中で、その無限のエネルギーが、自然と完璧な形となって現れているのですから、
「その完璧な全体をただ静かに楽しむ」
という、本来の至福と平安の立ち位置にとどまっていてください。
間違って映画の中に入り込めば、映画の波乱万丈の世界で奮闘するという幻想から抜け出せなくなってしまいます。
すべては、単なる、あなたの意識の中のさまざまな現れでしかありません。
そして、そのすべては常に、完璧であり続けるのです。
ここでお話ししていることは、本当は、ごく当たり前のことでしかありません。
この世界は、完全なる至福と平安の世界でしかなく、そんなことは、わざわざ確認するまでもない、当たり前のことなのです。
完璧であって当たり前のエネルギーの戯れを、ただ完全に力を抜いて、手放しで楽しんでください。
この当たり前のお話を、当たり前のこととして、当たり前に受け取れるよう、徹底的に理解を深めていってください。
これだけしつこく「当たり前」を繰り返すほど、すべては本当に当たり前なのです。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
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