引き寄せと思考の関係は、一般的に言われているようなものとは全く違います。
思考は引き寄せに大きく影響しますが、そもそも、
- 思考とは何なのか?
- 引き寄せとは何なのか?
ということが、ほとんどの場合、正しく理解されていないのです。
間違った理解は、あなたを「引き寄せられない」という不自然な出来事が存在する、不自然な世界の中にとどめてしまいます。
ここで、きちんと正しくご理解いただき、ぜひ、本当に幸せな至上の引き寄せの世界だけを見られるようになってください。
《検索から来られた方へ》
このサイトの記事は、冒頭でお伝えしている重要な真理を前提としています。
お時間のある方は、こちらからお読みください。(※新規タブで開きます)
思考とは本当は何なのか?
思考とは本当は何なのかということを正しくご理解いただくために、思考というものを、2つの種類に分けてお話ししたいと思います。
一つは「純粋な思考」。
そして、もう一つは「世界の完璧性を乱し、引き寄せを妨害してしまう思考」です。
一般的に「思考」と呼ばれているものは、後者の「世界の完璧性を乱し、引き寄せを妨害してしまう思考」のことです。
「思考が現実化して、引き寄せが起こるのではないのか?」
というような疑問をお持ちになる方もいらっしゃるかもしれませんが、それについては、後ほどお話しすることにして、まずは、思考というものの本当の正体についてご説明したいと思います。
純粋な思考
まず、どちらのタイプのものであっても、思考とは、
「あなたが頭の中で考えていること」
ではありません。
冒頭の000からのご案内の中でお話ししている通り、この世界は、完全な無人の自動運転の世界であり、そこには、
「何かをする人」
というものは、誰一人存在しません。
「何かをする人」がいないのですから、当然「何かを考える人」も誰もいません。
「何かを考える人」がいないということは、思考とは、「誰かが考えること」ではないということです。
思考とは、あなたの意識の中の世界に自然と浮かび上がる、概念の雲のようなものです。
あなたの意識の空間には、無限の概念が存在していて、その中のある概念が、ある時、形を取って一時的に現れるのです。
それは「誰かの思考」ではなく、ただそれ自体で自然と現れ、少しの間、意識の中の空間を漂っては消えていく、単なる概念の現れなのです。
そして、それが「単なる概念の現れ」である限り、その純粋な思考が自然な引き寄せを邪魔してしまうことはありません。
むしろ、純粋な思考は、自然な引き寄せの一部であり、至福の世界の自然な属性ともいうべきものです。
引き寄せの障害となる思考
一方、もう一つの、「世界の完璧性を乱し、引き寄せを妨害してしまう思考」というのは、意識の空間に現れた純粋な思考を、〈私〉という、本当は存在しない幻想の行為者が、
「自分が考えている自分の思考、自分のもの」
として抱え込んでしまったときに生まれるものです。
それは、純粋な思考に続いて現れる「二次的な思考」と言ってもいいかもしれません。
先ほどの純粋な思考というのは、000からのお話の中で、
「源泉から自動的にやってくるインプット」
と表現しているものであり、それは、意識の空間の中に自然と現れ、役割を果たしたら、パッと消えていく、いわば「点」の思考です。
本来の自然な世界の中では、ただ、
- 純粋な思考が現れ、自然な反応が現れる
- また別の純粋な思考が現れ、自然な反応が現れる
ということの繰り返しだけが起こっています。
完全なる至福と平安の世界が映し出される、澄み切った水面に、この純粋な「点」の思考が現れても、それが水面に波紋を起こすことはありません。
ですが、そこに〈私〉という幻想の行為者が入り込んでしまうと、この純粋な「点」に続いて、澄み切った水面に波紋を生み出す余分な思考の波が現れてしまうのです。
その波紋は、完璧な世界が映し出されている水面を揺るがせ、その完璧性を見えなくしてしまいます。
わかりやすいよう、一つ例を挙げてご説明してみます。
例えば、「コーヒーを飲みたい」という思考が現れたら、その後には、
「コーヒーをいれて飲む」
という自然な反応が起こり、それで終わりです。
これが純粋な「点」の思考であり、完璧な世界では、この自然な思考と自然な反応だけが繰り返されています。
ですが、そこに〈私〉が入り込み、波紋が生まれると、
「コーヒーを飲みたい」
という純粋な思考の後に、
- 「でも、前のコーヒー豆の方がおいしかったなあ」
- 「仕事が詰まっていて、のんびりコーヒーなんて飲んでいる場合じゃないのに」
- 「あまりコーヒーばかり飲みすぎると、体に良くないかな」
- 「そういえば、この間カフェでコーヒーを飲んだ時、〇〇さんが・・・」
などなど、あらゆる方向へどこまでも波紋が広がっていきます。
そして、それが繰り返されることで、静かな水面は波紋だらけになってしまい、本当はずっとそこに映し出されているはずの完璧な世界が、すっかり見えなくなってしまうのです。
なぜ思考が引き寄せを邪魔するのか?
この、「波紋によって水面が乱れ、完璧な世界が見えなくなる」ということが、なぜ引き寄せの障害になるのか、ということをご理解いただくためには、
「この世界で引き寄せの法則と呼ばれているものの本質」
を知っていただく必要があります。
このサイトを最初から、繰り返しお読みいただいている方には、もうおわかりいただけているかと思いますが、引き寄せというのは、本当は、
「意識の中の世界で、常に起こり続けている、ごく自然な出来事」
であり、そこには、
「引き寄せられない可能性」
という不自然なものは存在しません。
本当の引き寄せとは、
「誰かが意図的に何かをして、主体的に何かを引き寄せる」
ということではなく、
「起こることになっていることが、ただ自然と、完璧に起こる」
ということであり、そのために必要なものは、その出来事の一部として、ただ自然と現れるだけです。
それが、このサイトの中で「至上の引き寄せ」と呼んでいるものであり、そこには、
- 努力も
- 切望も
- 失敗も
一切、存在しません。
鳥が鳥であるためには羽が必要なので、鳥には当然のこととして、羽が備わっています。
鳥が羽を引き寄せる必要はありません。
それと全く同じ次元で、その人を通して表現されることになっていることが、そのままに表現されるために必要なものは、当然その人のもとにやってくるのです。
つまり、その自然な世界が自然なまま、完璧に映し出されている限り、放っておいても至上の引き寄せは起こり続けるのです。
ですが、波紋を生み出してしまう〈私〉の不自然な思考によって、澄み切った水面が乱されてしまうと、
「本当は目の前にある、その完璧な至上の引き寄せが、当たり前に起こり続ける世界」
を、見ることができなくなってしまうのです。
「思考が現実化する」は本当か?
ここまでお読みいただければ、最初に少し触れた、
「思考が現実化して、引き寄せが起こる」
というお話についても、少しご理解いただけたかもしれません。
- 〈私〉が入り込んでいない、波紋を起こさない純粋な思考は、ただそのまま形となって表現されます
- 〈私〉が入り込んだ、波紋を生み出す不自然な思考は、至上の引き寄せの障害になります
引き寄せとは、「誰かがすること」ではなく、
「誰もいない、無人の完璧な世界でただ起こること」
なのです。
そこに「自分の思考を現実化させよう」などという、存在するはずのない幻想の行為者が入り込んでしまえば、無人の世界の完璧性が乱されてしまいます。
努力のいらない、幸せな引き寄せを願うならば、現れる思考を、ただそのままにしていてください。
自然と現れた「願望という形の思考」もまた、ただそのままにしておけば、それ自体で自然と流れて形になっていくのです。
思考をそのままにすれば、願望は叶う
意識の中の空間に自然と現れ、自然なままに漂っては消えていく思考を、ただそのままにしていてください。
間違って特定の思考を追いかければ、そこに「思考を追いかけている〈私〉」が生まれ、引き寄せの障害となる波紋を生み出してしまいます。
その波紋はさらなる波紋を生み出し、完璧な世界が映し出される静かな水面は、乱されるばかりです。
思考を追いかけることを続けている限り、〈私〉という、水面を乱す幻想の行為者は存在し続け、引き寄せが必要な不足の世界から出ることはできません。
〈私〉の波紋で世界を埋め尽くさないようにしてください。
自然と現れる純粋な思考を、ただそのままにしていれば、それは自然と完璧な形を成していくのです。
そこに、「何かをしたい」という自然な思考が現れた時にも、それを、
「自分が引き寄せの法則によって叶えるべき願望」
などと名付けて、歪んだものに変えてしまうのではなく、ただ意識の空間を漂う自然な雲の一つとして静かに見守っていれば、それはそれ自体で自然と形になっていきます。
まずは、次々に現れる騒々しい思考の波を、ただ、
「意識の中の現れに過ぎない、騒々しい思考の波」
として、微笑ましく見守ってみてください。
そうすれば、新たな波紋が生まれることは減っていき、世界が映し出されている水面は徐々に静まっていって、少しずつ、
「自然な引き寄せがただ自然と起こる、完璧な世界」
が見えるようになっていくはずです。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
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