引き寄せの真理|002. 量子力学

この量子力学というテーマは、冒頭の核心部分の中でお伝えした、

「この世界は完璧性そのものである」

というお話の、科学的で論理的な証拠です。

 

このサイトでは、あまり論理的なお話はしません。

それは、理屈を考え始めることそのものが、あなたを幻想の世界の中に引き込んでしまうからです。

 

それでも、ここであえて、この論理的なお話をすることには、明確な目的があります。

 

それは、〈私〉=エゴなどというものは、本当にどこにも存在していないのだという、最も重要な真理を、あなたにしっかりとご理解いただくためです。

そのために、量子力学という、否定しがたい、確かな証拠を提示していきます。

 

どうぞ、しっかりと納得できるまで繰り返しお読みいただき、徹底的に理解を深めてください。


《検索から来られた方へ》

このサイトの記事は、冒頭でお伝えしている重要な真理を前提としています。

お時間のある方は、こちらからお読みください。(※新規タブで開きます)


科学が裏付ける3つの事実

量子力学が認めている「源泉」の存在

この世界には、すべての源である、ただ一つの源泉だけが存在しています。

 

「この世界のすべては、何もない無から現れている」

ということは、量子力学の分野で認められている、確かな真実です。

 

量子力学的な表現で言えば、

「空間からすべてのものを取り除いても、発生源のない謎のエネルギーが残ってしまう」

つまりそれは、

「無から有が生まれている」

ということです。

 

この、すべての物質の源である、

「有を生み出す、形を持たない無」

こそが、この世界のすべての源泉である、唯一の実在なのです。

 

まず、第1の確かな結論は、

「この世界のすべては、唯一の源泉から生まれている」

ということです。

形あるものすべては源泉そのもの

その源泉から、あらゆる形が生み出されています。

 

そして、量子力学的に見て、そこから生み出されるエネルギーの量は「無限大」です。

その、潜在する無限の可能性の中から、この世界で認識することのできる、あらゆる種類の形が生まれています。

 

  • 人間も
  • 動物も
  • 植物も
  • 空気も
  • 水も
  • 石も
  • 惑星も

この世界に存在する、認識可能なもののすべては、源泉から立ち現れているのです。


桃の種から育つものは、すべて「桃」です。

 

それぞれの部分には、

「幹・枝・葉・花・実」

などの名前がつけられていますが、その全ては「桃」です。

 

同じように、源泉から現れ出たもののすべてには、それぞれに名前がつけられてはいますが、その全ては、

「源泉そのもの」

です。

 

つまり、この世界には、

「源泉しか存在していない」

ということ。

 

これが、第2の結論です。

この世界のすべてを動かしているもの

では、その源泉そのものである、あらゆる形を動かしている力は、何でしょうか?

 

もちろん、

「源泉しか存在しない」

のですから、それもまた、やはり源泉そのものです。

 

このことは、冒頭の核心部分の実験で、実体験としてご確認いただいた通りです。

 

この世界のすべての存在は、

「源泉から自動的にやってくるインプットによって」

完全に自動で動いています。

 

私たち人間は、

「私は自分で考えて、自分で行動している」

と思っていますが、それはすべて、

「ただ、源泉からやってくるインプットによって、自動的に起こっている出来事」

でしかないのです。

 

これが、第3の結論、

「この世界の形あるものすべては、源泉からやってくるインプットによって、自動的に動いている」

ということです。

自然と導き出される結論

この世界には誰も存在していない

ここまでの3つの結論を並べてみると、

  1. この世界のすべては、唯一の源泉から生まれている
  2. この世界には、源泉しか存在していない
  3. この世界の形あるものすべては、源泉からやってくるインプットによって、自動的に動いている

ということになります。

 

つまり、

「源泉から、源泉が生まれ、源泉によって動いている」

それがこの世界なのです。

 

では、その図式の中の、一体どこに「源泉以外の誰か」が存在し得るでしょうか?


そんなものは、どこにも存在し得ません。

この世界には、誰一人、存在していないのです。

 

私たちは、

「自分が行為者であり、自分が主体だ」

と思い込んでいますが、事実は、

「この世界には誰一人、自分の意志で何かをする行為者など存在してはいない」

のです。

この世界は完璧性そのもの

先ほど、源泉から生み出されるエネルギーの量は、無限大だとお伝えしました。

 

つまり、源泉とは「一切の限界のない存在」です。

限界がないのですから、源泉には「あらゆるものが満ちていて」、不足しているものや、欠けているものは、一切ありません。


そして、世界には、源泉しか存在しないのですから、そこには「対立するもの」は一切存在しません。

 

ですから、

  • 自分を守る必要もなければ
  • 外側の何かに備える必要もなく

それはつまり、

「完全なる平安そのもの」

を意味します。


  • 欠けているものが何もなく
  • 全てに満ちていて
  • 完全なる平安に満たされている

それはまさに、

「完璧性そのもの」

です。

 

  • 源泉が、完璧性そのものであり
  • 世界は源泉そのもの

なのですから、あなたが今見ているこの世界は、本来、

「完璧性そのものだけが存在する、完璧な世界」

なのです。

無限の世界の「不自然な願望」

完璧な世界に「願望」はない

この世界が完璧性そのものであるならば、そこに、

「何かを切に願い、望む『願望』」

というものが、生まれるでしょうか?

 

源泉の完璧な流れの中では、自然と湧き上がった思いは、

「行為者なしに、ただそれ自体で」

自然と形になっていきます。

 

そこでは、

「こうしたい」

という思いが自然と湧き上がり、そしてただ、

「こうなる」

のです。

 

それは単に、一連のスムーズで自然な流れに過ぎません。

 

「切に願い、望まなくても」、ただ自然とそうなるのですから、そこでは、

  • 「願望」などという概念も
  • 「引き寄せ」などという概念も

一切、生まれようがないのです。

不自然な存在が抱える、不自然な願望

ですが、私たちは、さまざまな願望を持ち、さまざまなことを「願い、望んで」、それを引き寄せようと奮闘しています。

 

それは、本来の自然な状態の世界のお話とは、相容れないものです。

 

ということは、その中のどこかに、不自然な歪みがあるということです。


不自然な歪みを生み出してしまうのは、あなたが間違って作り出してしまった、

「幻想の〈私〉という、行為者意識」

です。

 

世界の中に、この幻想の〈私〉が現れてしまうと、

「純粋な源泉の意図」

が〈私〉に抱え込まれ、

「私が引き寄せるべき、私の願望」

にすり替えられてしまいます。

引き寄せられない可能性

そして、重要なのは、この部分です。

 

「願望」という概念は、それ自体の中に、

「引き寄せられない可能性」

を含んでいるのです。


例えば、あなたに、

「毎朝、コーヒーをいれて飲む」

という習慣があったとします。

 

では、あなたは、明日の朝起きたときに、コーヒーを飲むことを「切に願い、望んだり」するでしょうか?

「コーヒーを引き寄せたい」などと願ったりするでしょうか?

 

朝起きたら、いつも自然な流れの中で、普通にコーヒーをいれて、普通に飲んでいる。

 

それがごく普通のことになっているとき、わざわざそれを、

「コーヒーを飲みたいという願望」

などと名付ける必要があるでしょうか?

 

あなたは、「普通にしていれば、それが普通に起こる」ということを、完璧にわかっているのです。

そのとき、あなたはそれを「切に願い、望んだり」はしません。


私たちは、起こるに決まっていることを「大切な願望」として抱えたりはしないのです。

 

それが、起こらないかもしれないけれど、起こってほしいから、

「願い望む、願望」

として、抱えることになるのです。

「引き寄せられない可能性」を生む要因

お伝えしてきた通り、

「この世界には、一切の限界がない」

ということは、量子力学という確かな証拠によって確認されている事実です。

 

限界のない世界の中では、

  • 「実現しない願望」
  • 「引き寄せられない願望」

などという、おかしなものは、そもそも存在しようがありません。

 

ですが、「源泉の自然な意図」を、幻想の〈私〉が、自分のものとして抱え込んだ瞬間、そこに、

  • 「願望」と共に
  • 「その願望を引き寄せられない可能性」

が、突然生まれます。

 

「ただ、そうなるに決まっている、源泉の自然な意図」

が、〈私〉の願望にすり替わった瞬間、そこに、

「引き寄せられない可能性」

という、本来存在するはずのなかったものが、突然生まれるのです。

 

ですが、それは一体、なぜなのでしょうか?


無限の世界には、「ここまでで終わり」という境界線がありません。

 

ということは、無限の世界には、

「中心が存在しない」

ということです。

 

中心というものが存在するためには、「そこが全体の真ん中である」ということがわかる必要があります。

 

ですが、この世界には、どこにも境界線がないのですから、

「無限に広がる、形のないもの」

に、中心という一点を定めることはできないのです。


ですが、あなたの思い違いによって、幻想の〈私〉という存在が生み出されてしまうと、その〈私〉は、自分を、

「世界の中心」

として位置づけます。

 

中心を作るということは、同時に、外側に「ここまでで終わり」という境界線を作るということです。

 

つまり、中心を作ることは、

「限界のない世界に、限界を作ること」

に他ならないのです。

 

限界のない世界に、

  • 境界線が引かれ
  • 限界が生まれれば

そこには、

「引き寄せられることと、引き寄せられないこと」

も生まれることになります。


つまり、名付ける必要さえない、

「ただそうなるに決まっている、源泉の自然な意図」

が、実現するかどうかわからない願望に変わってしまう、唯一の原因は、

「自分を世界の中心と定める、幻想の〈私〉の存在」

に他ならないのです。

100%願望を実現させる、唯一の方法

そうとわかれば、願望を実現させるために、私たちがすべきことは、ただ一つしかありません。

 

それは、

「叶うかどうかわからない願望」

という不自然なものを、

「ただそうなるに決まっている、源泉の自然な意図に戻す」

ということだけです。

 

それには、ただ、無人の、完全な自動運転の世界の中に、

「存在するはずのない、幻想の〈私〉という行為者」

を生み出してしまった、あなたの思い違いを正すだけでいいのです。


この事実を知ったあなたは、もう、

  • 「うまく引き寄せられる方法」を知る必要もなければ
  • 「効果のありそうな、新しい願望実現法」を探す必要もありません

 

「『願望』が、『願望』である限り」

そこには、

「実現しない可能性」

が、どこまでもつきまとうのです。

 

「〈私〉が、自分の力で引き寄せようとしている限り」

そこには、

「引き寄せられない可能性」

が、いつまでも存在し続けます。


願望を叶えられる方法を探す代わりに、その思いは、

  • 「源泉から、この体という媒体に自然と送り込まれた、純粋な源泉の意図」であって
  • 「私が抱いている願望」などではなかった

ということを、ただ受け入れてください。

 

もし何か努力するのであれば、「引き寄せの実践」ではなく、ただ、

「その理解を深めるための努力だけ」

をしてください。

 

そうすれば、あなたが何もしなくても、その思いは、ただそれ自体で、

「本来の進むべき最善の進路」

を、自然と進んでいくことができるようになります。


あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。

– Clear –


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Clear & Calm(クリア&カーム)
さまざまな誤解を超えた「至上の引き寄せの真理」を伝える、オンライン・カウンセリングルーム。間違った認識のために、引き寄せに悩んでいる人たちのために、あらゆる最善を引き寄せる、本来の自然な引き寄せのサポートをしている。