「幻想」は存在しません。
「幻想を見ている人」も幻想そのものなので、やはり存在しません。
では、幻想を消したいと願うのは誰でしょうか?
幻想を認識していない人が、幻想を消したいと思うことはありません。
幻想を消したいと思うのは、幻想を認識している人だけです。
そして、幻想を認識している人は、幻想そのものです。
混乱しやすいお話ですので、繰り返しになりますが、改めて、整理してみましょう。
石をどかすことができる人
「幻想を消したい」
というのは、
「私の願望の実現を邪魔するその石をどかしたい」
ということです。
当たり前のことですが、「石をどかしたい」と思うのは、「石を認識している人」だけです。
「石を認識していない人」が、「石をどかしたい」と思うことはありません。
- 「石を認識している人」は、「石そのもの」なので、その人が石をどかすことはできません
- 「石を認識していない人」は、「石をどかしたい」と思わないので、その人が石をどかすことはできません
つまり、石をどかすことのできる人はいないのです。
「いや、そんなことはない。私は石をどかそうと思ったら、ちゃんとどかすことができる」
と思うかもしれません。
ですが、
- 「邪魔な石を見ている人」は「邪魔な石」そのものであり
- 「邪魔な石をどかす人」もまた、「邪魔な石」そのものです
石をどかす人は、その石が「邪魔だから」どかすのであって、その一つの石をどかしたとしても、その人が「石は邪魔なものだ」という概念そのものである限り、いくらでも新たな石が現れるだけのことです。
「邪魔な石」そのものである人の世界から、「邪魔な石」がなくなることは決してありません。
なぜなら、その人自身が、「邪魔な石」そのものだからです。
つまり、完璧に流れる美しい小川の中から、邪魔な石をなくすことのできる人は、誰もいないのです。
「それならもう変えなくていい」
- 「この状況を変えたい」と思っている人に、その状況を変えることはできません
- 「この状況を変えたい」と思っていない人にも、その状況を変えることはできません
この世界では、
「誰かが、自分の意志で何かを変える」
ということは、一切できないのです。
では、「それならもう変えなくていい」と思ったら、どうなるでしょうか?
この先の道は、2つに分かれます。
その人がもし、本当に、
「それならもう変えなくていい」
と思ったなら、その時、その人は、
「変えたいと思うもののない世界そのもの」
なので、その人の見る世界に「変えたい何か」が存在することはなくなります。
それは、
「いつの間にか自然と、望んでいた通りの形が整う」
ということかもしれないし、望んでいた形とは違っても、ただ、
「本当に何も変わらなくていいと思えるような、満ち足りた状態になる」
ということかもしれません。
どちらにしても、その人の目の前には、
「変えたいもののない完璧な世界」
が広がることになります。
ですが、そうではなく、
「変えたいと思うのをやめれば完璧な状態になるなら、変えたいと思うのをやめよう」
ということなら、その人はただの、
「変えたいと思っている人」
です。
当然、その人の世界は何も変わりません。
その人が、「変えたい何か」を見ている限り、その人にできることは何もありません。
願望とは、
「何かを、今とは違う状態に変えたい」
ということです。
つまり、その人に、「叶えたい願望」がある限り、その人にできることは何もないのです。



