この世界は、あなたの意識の中に現れています。
意識とは、無限であり、完璧性そのものです。
ということは、そこに自然と浮かび上がるイメージの世界にも、完璧でないものなど存在しません。
意識の世界に現れている概念のすべては、完璧性そのものなのです。
あなたが見ている世界に、もし、完璧とは思えないものがあるとしたら、それはすべて、思考の雲に過ぎません。
純粋な、現れている概念そのものは、例外なくすべて完璧なのですから、その「完璧とは思えないもの」は、
「『それは完璧とは思えない』という思考」
でしかないのです。
例えば、目の前に誰かがいるというとき、それは、
「意識の中の空間に、人という概念が現れている」
というだけのことであり、ただそれだけで、おしまいです。
現れを、現れのまま見ている限り、そこから派生するものは、何もありません。
ですが、そこに〈私〉が入り込み、水面に波紋が生まれると、あらゆる不要な思考が広がっていきます。
「人」という概念の現れそのものの中に、不安や疑いが存在する余地はありません。
ですが、もしそこに、
- 「怖そうな人だ」
- 「この人は私に何かするのではないか」
という思考が湧き上がり、あなたがその思考を信じたら、その思考は力を得て、まるで現実のものであるかのようになってしまいます。
すると、あなたはますます、そこから派生していく思考の数々を信じるようになり、それが確固たる「不安や疑い」となってしまうのです。
その時、あなたの世界には確かに、
「あなたに何かをしそうな、怖い人」
が存在することになってしまいます。
これを、思考という波紋が現れる前の状態と、比べてみてください。
本当にそこに現れていた純粋な世界は、
「そこに人がいる」
だけだったのです。
その現れを、現れたままにしていれば、その人はただ純粋な完璧性の現れとして、あなたの世界に存在していただけだったでしょう。
あなたと、とてもいい関係を築いたかもしれませんし、あなたに何か大切なものを与えてくれる、重要な存在であったかもしれません。
ですが、そこに事実ではない余計な思考が広がっていったことで、純粋な現れが覆い隠され、全く違うものに変えられてしまったのです。
不安や不満や疑いのようなものはすべて、思考の雲でしかありません。
世界を内に収めてしっかりと見ていれば、そのことはすぐに明らかになるでしょう。
とはいっても、思考の雲を何とかする必要はありません。
それはただの雲なのですから、放っておけばいいのです。
「それは、何とかする必要のあるものだ」と、あなたが架空の実在性を与えてしまうから、その単なる雲が、まるで力を持ったかのようになってしまうのです。
思考の雲は、ただ流れるままにしておいてください。
「それは単なる現れであって、事実ではないし、何の力もない」と理解して、ただ見ていてください。
そうすれば、あなたがその幻想の思考を信じて、そこから派生する思考の雲にまみれてしまうようなこともありません。
ただ、思考を単なる思考と見る。
それだけで、あなたの意識の中の世界は、格段に静かで穏やかで、安心感に満ちた場所に変わっていくでしょう。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
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