騒がしい思考の波に巻き込まれて、幻想の世界が現実のように見えてしまっている時には、今、目の前に現れているその思考から、一つずつ丁寧に確認していきましょう。
意識は、一つしかありません。
目の前にどんなものが現れていても、それが現れている場所と、あらゆる最善が流れ続けている至上の世界がある場所は、同じなのです。
つまり、あなたは、ゴールにいながらゴールを目指しているのであって、それはただ、
「確かに私はずっとゴールにいたのだ」
と本当に気がつけば、一瞬で終わってしまう旅です。
ですから、「ゴールまで一飛びにジャンプしよう」とりきむ必要など、全くありません。
いつでも、気がついた瞬間、ゴールの景色を見ることができるのだということを理解し、力を抜いて、
「今、目の前にある間違い」
を一つ一つ、きちんと確認し、正していくところから始めていきましょう。
例えば、何かを不安に感じたり、何かのことを考えてストレスを感じたりするときには、
「その何かが、本当に実在するものなのかどうか」
を、丁寧に確認しましょう。
すぐに世界を意識の内に収めて、その「不安」や「ストレス」がどこにあるのかを確かめてください。
少し実践に慣れてきている方であれば、一瞬で、
「そんなものはどこにも実在してない」
という「確かな事実」を確認できるでしょう。
それは、あなたの中に現れているイメージであるだけなのですから、それをあなたが怖がったり、ストレスを感じたりする必要などまったくありません。
別にそれがそこにあってもなくても、あなたには何の影響もないのです。
それは単なる、「空っぽの見た目」であるだけで、放っておけば煙のように、いつの間にか消えてなくなってしまうのです。
ですから、実体を持たない煙を怖がるなどというおかしなことはやめて、ただ、
「間違って単なる煙を怖がってしまっていたなあ」
と、ご自分の間違いを笑い飛ばしてください。
もしまた同じ煙や、新たな別の煙が現れても、また同じようにその正体を確認して、
「もうおかしな間違いはやめよう」
と、その「単なる空っぽの現れ」を微笑ましく眺めて、消えていくままにしていてください。
少しでも、「不快感」という不自然なものを感じたときには、すぐに世界を内に収め、
「それがどこにあるのか」
を、しっかりと確認してください。
その思考が、あなたの意識の中を流れる単なる雲であることが確認できたら、
「それは、意識の中という形のない空間に浮かび上がっている、単なる実体のない現れに過ぎないのだ」
と、安心して、その雲が流れるままにしておいてください。
これは、実際に空を眺めるときと全く同じです。
あなたは、「今、空にどんな形の雲が現れているか」を、いちいち気にしたりはしないでしょう。
- 「こういう形の雲が現れていてはいけない」とか
- 「こういう形の雲があるのがいいことなのだ」
などと思って、空を見上げたりはしないでしょう。
空を見上げる時には、「ただ空を見上げるだけ」であるはずです。
そこに、気になる形の雲があったとしても、それは単に、
- 「おもしろい形の雲だなあ」
- 「〇〇のような形の雲だなあ」
と思うだけのことで、「だから何」ということはありません。
ただ、おもしろい形の雲が形を変えながら流れていくのを、客観的に楽しんで眺めるだけでしょう。
今、目の前に、どんな形の雲が現れていようと、
- そんなことはどうでもいいこと
- 取るに足らないこと
なのです。
仮に、思考の雲を追いかけたとしても、それが、おもしろい形の雲を見ているときのように、
「客観的に楽しんで眺める」
というだけなら、何の問題もありません。
それを重視せず、どんな意図も持たず、ただ流れるままを楽しんで眺めるだけなら、それがあなたに影響を与えることはありません。
ただ、単なる一時的な現れに過ぎない雲に、いちいち重要性を与えて、実在しない空想のストーリーを紡ぎ出してしまう習慣から、離れていきましょう。
離れることを繰り返していけば、だんだんと、離れる必要のあるものなど何もない、自然な状態に戻っていくはずです。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
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