「野球をする人」が「野球」という概念そのものであるように、〈私〉という幻想の行為者は、行為という概念そのもなので、常に、一生懸命、何かをしようとします。
あなたの本来の状態は、
「波のない穏やかな水面のように、静かで、澄み切った状態」
ですが、それとは対象的に、〈私〉は「静かに、落ち着いている」ということがないのです。
- 〈私〉が「行為という概念」そのものであり
- 〈私〉の行為の全ては、水面を揺らす波を生み出してしまうのですから
動きのない、静かで澄み切った水面には、〈私〉は存在できません。
〈私〉は、そこに存在するために「行為」を必要とするのです。
つまり、
「あなたが本当に静かにしていれば」
〈私〉は存在できません。
ですから、意識的に静かにしましょう。
自分で何かをしようとすることを、やめましょう。
〈私〉は、列車で旅をしているときでも、
「立って、重い荷物を自分で抱え込み」
揺れに耐えようと、必死で踏ん張っています。
ですが、
- 立っていても、座っていても
- 重い荷物を自分で抱えていても、足元に置いていても
- 必死で踏ん張っていても、力を抜いてリラックスしていても
体も荷物も、同じように、列車が運んでいってくれるのです。
それなら、何のために、重い荷物を抱えて立っている必要があるのでしょうか?
何かをする時には、必ず、ゆったりした心地よいシートに座って、荷物をすべて置きましょう。
そしてただ、リラックスして、車窓を流れる景色を楽しみましょう。
あなたが何もしなくても、ただリラックスして見ていれば、列車=源泉の自然な流れは、それ自体で完璧に流れていってくれます。
最初のうちは、一生懸命、意識していても、
「気がつくと、荷物を抱えて立っている」
ということが、何度でも起こります。
これまで何十年もの間、自分でがんばろうとしてきたのですから、それがすっかり習慣になっているのは当然です。
ですが、
「すぐに荷物を抱えて立ってしまう」
のは、あなたはではなく、実在しない〈私〉という幻想です。
幻想の〈私〉が入り込んだことに気づいたら、またすぐに荷物を置いて、ゆったりと座り直しましょう。
ただ、それを繰り返していくだけです。
荷物を抱えて立ち上がっていることに気がついても、反省はいりません。
「反省する」ということもまた、〈私〉を存在させてしまう「行為」の一つですから、そんなことはしない方がいいのです。
ただ、またすぐに、快適な座席に戻りましょう。
せっかく、列車が目的地まで連れて行ってくれるのですから、
- 何も心配せず
- リラックスして
この完璧な世界の、旅の風景を楽しんでいましょう。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –