「プログラムの案内を読んでみよう」
という気持ちが、あなたの中に自然と湧き上がってきたということは、それ自体が、
「あなたが真理を受け取り、それを十分に浸透させて、全てに満たされた至福と平安の世界へ進むことになっている」
ということを意味しています。
「野球」の絵のお話を思い出してみてください。
あなたが野球の絵を描く時には、ボールやグローブやバットだけでなく、野球場や、野球をしている人も描くでしょう。
ですが、そのすべてはただ「野球」であるだけです。
にも関わらず、「自分=〈私〉」だと間違って思い込んでいる私たちは、
- 野球をしている人を「主体」と考え
- ボールやグローブやバットを「その主体である人が使う道具」と考え
- 野球場を「その主体である人が野球をするための場所」と考え
常に、「主体である人」が出来事の中心であるかのように錯覚しています。
ですが、実際には、あなたは「野球をしている人」を描いたのではなく、「野球」を描いたはずです。
人も、道具も、場所も、すべてはただ「野球」であるだけであり、そこに本当に存在しているのはただ「野球」だけなのです。
同じように、あなたは、
- 自分自身を「プログラムを受ける主体」と考え
- Clearという人間を「主体である自分が受けるそのプログラムを提供する人」と考え
- プログラムを「主体である自分が幸せを手にするために活用する手段」
と考えるかもしれません。
ですが、実際にそこにあるのは、「完全なる至福と平安だけ」であり、
- あなたも
- Clearという人間も
- このプログラムも
すべては「完全なる至福と平安」そのものでしかないのです。
あなたは、自分の手を「自分の一部」とは考えないでしょう。
ごく自然に捉える時、手は「あなたの一部」なのではなく、ただ単に「あなたそのもの」であるだけです。
同じように、あなたや、Clearという人間や、このプログラムは、「完全なる至福と平安の一部」なのではなく、
「完全なる至福と平安そのもの」
なのです。
これから起こることは、
- Clearという人間が、プログラムを提供し
- あなたがプログラムを受け
- あなたが、至福と平安の世界を生きるようになる
ということではなく、それは、ただ単に、
「完全なる至福と平安の現れ」
であるだけなのです。
それは、あなたが何もしなくても、私が何もしなくても、ただ自然と起こります。
「野球」の中に描かれた「野球をする人」は、自分で努力して野球をしているのではなく、ただ「野球」がそこに表現されたので、野球をしているだけなのです。
あなたも、
- 自分で案内を読み
- 自分で検討してプログラムを受け
- 自分で努力して至上の引き寄せの世界を目指す
のではありません。
ただ、「完全なる至福と平安」がそこに表現されることになっているので、
「あなたや、Clearという人間や、プログラムという要素を含む形で」
それが自然と表現されるだけなのです。
こうして言葉で説明すると、なんだかとてもゴチャゴチャしてしまいますが、要は、
「あなたは何もしなくても、必ず至福と平安の世界を生きることになるので、安心して見守っているだけでいい」
ということです。
- 抵抗を差し挟まず
- 本当は存在しない〈私〉という障害を作り出さず
ただありのままを、静かに見守っていてください。
これまで、悩みを抱えたり、それを解消するためにがんばっては、うまくいかず葛藤したこともあるかもしれません。
幸せを引き寄せようと奮闘し、懸命にうまくいくための方法を探してきたかもしれません。
ですが、そのすべてもまた、
「完全なる至福と平安の表現そのもの」
であっただけなのです。
ですから、過去の葛藤や奮闘があったことを、むしろ素晴らしい幸運と捉えて、ここから先の至福の流れを、ただ心静かに見守っていてください。
- あなたと
- このClearという人間と
- このプログラム
という3つの媒体を通して、どんな至福が表現されていくのか、ご一緒に、楽しみながら、幸せな気持ちで見守っていきましょう。
プログラムにいらっしゃったときには、このことを改めて丁寧にご説明しますので、その時改めて、しっかりと理解して、その素晴らしい至福をじっくりと味わってください。
それでは、完全なる至福と平安の中で、プログラムのご案内を、ごゆっくりお読みになってください。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
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