この世界は、あなたが間違って水面に触らずにいる限り、常に100%完璧であり続けます。
その完璧性が乱れることは、実際には決してありません。
ですが、その完璧性が「乱れたように見える」ことは、いくらでもあります。
それは、あなたが間違って水面に入り込んだり、静かな澄み切った水面に触ってしまったときです。
まだ本当の真理に出会っていない人たちは、四六時中、水面に入り込んだり、触ったりしてしまい、むしろその状態が普通だと完全に信じ切って生きています。
そう信じ切ってしまっているので、そこから出るきっかけに出会うこともできません。
ですが、あなたは幸い本当のことを知ったのですから、これからはそれをやめていくことができます。
とはいっても、頭で理解して、すぐにそれをやめられるわけではありません。
少しずつ理解を深めながら、実践を重ねて、その間違いを正していくのですが、その歩みを少しでも早めていただくために、
「本当の真理を知った上で、それでも水面に触ってしまう状態というのが、どのようなものなのか」
を、ここで一度、冷静に、客観的に見てみていただきたいと思います。
静かな澄み切った水面に映る、完璧な世界を目の前にしながら、
「でも何だか心配だ」
と言って、少しだけ、チョンと水面に触ってみる。
水面が揺れて、完璧性が覆い隠されてしまった状態を見て、
「ほら、やっぱりそこには問題があったんだ」
といって、怖がったり、心配したり、引き寄せによってそれを埋め合わせることを切望したりする。
簡単に言えば、そんな光景です。
わざわざ、自分で完璧性に触って、水面を乱してしまっておきながら、乱れた水面を怖がるなどというのは、とてもおかしなことです。
それは、言ってみれば、
「自分からわざわざ水面に触り、水面を揺らしてスリルを味わう遊び」
のようなものです。
それが、とてもおかしなことだと気がついて、やめられるようになるためには、そこに映っている完璧性への信頼を高めていくしかありません。
「私が触らなければ、世界は本当に、いつでも完璧なのだ」
という経験的な実感を積み重ねて、静かに見ていられるようになることが必要です。
世界を完全に信頼し、一切水面に触らずにいられるようになったら、どんなに素晴らしい世界がやってくるのか。
あえて、少しそれをイメージしてみてください。
今は、それをイメージする〈私〉がいるので、それは単なる想像に過ぎません。
ですが、訓練を重ね、想像ではなく現実として、完璧な世界を見ることができるようになれば、その時あなたは、生涯、
「不足や不安や、あらゆる悩みから自由な、完璧性そのものの世界」
を生きることができるようになるのです。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –