あなたには今、何か引き寄せたいと願っている願望がおありになるでしょう。
何かを引き寄せたいと願うことは、つまり「幸せ」を願うことです。
望んでいた願望を無事に引き寄せることができたとしても、それが幸せに結びつかなければ意味がありません。
もちろん、
「願望が叶ったら幸せに決まっている」
と思うのが普通でしょう。
願望が叶うということそれ自体に幸せを感じるのですから、そう思うのは当然のことです。
ですが、その願望を引き寄せることを考える前に、まずは一度立ち止まって、
「それが本当なのかどうか」
をきちんと確かめてください。
「あなたが思う最善」と「あなたにとっての最善」
そのことをご理解いただくために、こんな例えでお話ししてみたいと思います。
客観的な目線でお読みになってみてください。
あなたの目の前に、アリが行列をなして歩いていました。
あなたは、上からその全体像を見ています。
すると、全体を見渡していたあなたは、アリが進んでいく先に、アリクイが待ち受けていることに気づきました。
もちろん、地面を歩いているアリたちには、そんなことは知る由もありません。
さて、アリの行列をアリクイから助けるために、あなたはどうするでしょうか?
まず、考えられる最も簡単な方法は、「行く先を塞ぐ」ということでしょう。
何か進路を塞げるものを置いて、アリたちの進む方向を強制的に変えてしまうのです。
しかも、そうやってあなたが誘導した先には、
- たくさんのおいしいエサと
- 安全な巣を作れそうなとてもいい場所
があります。
それは、紛れもなく、アリたちにとっての最善です。
では、その出来事を、アリたちの目線から見てみましょう。
アリたちは、目指していた方向へまっすぐ進みたいのです。
ですが、突然、邪魔が入り、
- 無理やり
- 望まない方向へ
強制的に進路を変えられてしまいました。
でも、それを「それなら仕方ない」と、抵抗せず素直に受け入れ、新たに進むことになった方向へまっすぐに進んでいけば、そこには素晴らしい世界が待っています。
ですが、アリたちは、
「いや、どうしても自分たちが進みたいと思っていた方向へ進むんだ!」
と抵抗して、無理やり障害物を乗り越え、また元の方向へ進み始めてしまいました。
あなたはまた進路を塞いでみますが、何度塞いでも、アリはそれを無理やり乗り越えて、危険な方向へ進もうとしてしまいます。
それでも、もし何度目かに、やっと諦めて新しい方向へ進めば、
- うまくいかないストレスを感じ
- 奮闘して疲れ
- 回り道をしてしまう
という、無駄な経過を経ることにはなったものの、最終的には、何とか最善の場所へとたどり着くことができます。
ですが、アリたちはどうしても諦めず、もはや行く先を塞ぐという方法では、危険から救うことはできそうにありません。
そこであなたは、アリの行列の目の前に、小さな砂糖の塊を置きました。
アリたちは、
「目の前に現れた甘いもの」
に群がり、一時的に危険な方向へ向かう足を止めます。
でも、小さな砂糖の塊は、いずれなくなってしまう、一時しのぎのものに過ぎません。
それがなくなれば、アリたちはまた元の進路へと進み始めてしまうでしょう。
やはり、
「根本的に進路を変えなければ」
アリたちを助けることはできません。
そこで、あなたは、
「砂糖の塊を一度取り上げては、もう少しだけ、安全な場所に近いところに置く」
ということを繰り返しました。
アリたちは、
「甘いものが現れては、消えてしまう」
という喜びと落胆を繰り返した末に、ついに誘導される方向へ進み、そこでやっと、
「大きな奮闘と遠回りの末に出会った、最善の幸せ」
を味わうのでした。
最善にたどり着くために必要なこと
アリたちが最初に目指していた場所は、
「願望が実現しそうな場所」
です。
そして、その進路を塞いでくるものは、
「願望が思うように実現しない」
という悩みです。
そして、そこに置かれた甘いものは、
「願望実現を後押ししてくれる、良さそうな方法」
であり、でも、それを試みてもまた、
「がんばっているのに、なかなか実現しない」
という形で落胆することになってしまいます。
そうやって、うまくいかないストレスと奮闘を繰り返し、やっと、
「本物の最善」
にたどり着きます。
それがまさに、この世界の願望実現というものなのです。
では、
- 最短の道で
- 最善の場所にたどり着くためには
何が必要だったでしょうか?
それは、一言で言うなら、
「流れに委ねる」
ということです。
- 「こちらのルートでなければいけない」
- 「このやり方でなければいけない」
という、自分の判断への執着を捨て、自然な流れの完璧さを信じるということです。
もちろん、最初は少し抵抗を感じてしまうでしょう。
ですが、試してみれば、結果的に、
「それはいつも最善につながっている」
ということが、わかるようになってきます。
わざわざ必死になって、疲れ果てる回り道をしなくても、
「導かれるままに進めば」
それはいつでも、必ず、最短のルートなのです。
「自分で決める」とは、どういうことか
〈私〉が思う最善は、決して最善ではありえません。
なぜなら、〈私〉がそこにいる限り、水面は必ず波立ち、本当の最善を見ることはできなくなってしまうからです。
何が最善で、何が最善ではないかを、自分で判断するということは、そこに、
「自分で判断するのだと言う〈私〉」
を存在させるということです。
そのとき、その先にスムーズに最善の世界が現れてくることは、決してありません。
最善を見られるようになるためには、
「何も決めず、ただ最善の流れを信頼して眺める」
ということ以外にないのです。
願望実現という場所を目指していたアリの立場から考えてみれば、客観的に理解できるでしょう。
アリたちの行く先を塞いでいたあなたは、常に、
「アリたちを最善の場所へ導くために」
様々なことをしていました。
- 道が塞がれること
- 目の前に甘いものが置かれること
- 甘いものを取り上げられること
この中で、地上を歩くアリたちに「最善」と判断できるものは、甘いものが置かれたという出来事だけです。
他のすべては、「最善」どころか、「最悪」の出来事と映っているかもしれません。
ですが、あなたがアリたちのためにしていたことの全ては、紛れもなく、
「アリたちにとっての最善」
でした。
この世界の中の、小さな〈私〉の目線では、決して、
「本当の最善が何なのか」
を、正しく判断することはできません。
それでも、
「自然な流れこそ、常に最善である」
というシンプルな真理を常に忘れずにいれば、自分では判断できなくても、必ず最善へと導いてもらえるのです。
必要なのは、
「この世界には完璧性しか存在しない」
という、唯一の重要な真理への深い信頼、ただそれだけです。
あなたの世界は、今この瞬間も、至福と平安に満ちた、ClearでCalmな世界であり続けています。
– Clear –