引き寄せの真理|002. 「叶う」と「叶わない」

皆さんが引き寄せに関して、どんなことを知りたがっているのか、「引き寄せ」という言葉と一緒に検索されている言葉を調べてみたところ、

「叶う、叶わない」

という言葉が出てきました。

 

引き寄せの法則と呼ばれるものを活用することによって、

  • 願いが叶う人と、叶わない人がいる、とか
  • 願いが叶う場合と、叶わない場合がある

というようなお話だと思います。

 

では、そもそも、

  • 「叶う」とは何でしょうか?
  • 「叶わない」とは何でしょうか?

 

一体、「何が」叶うのでしょうか?

 

「本当に起きていること」を見ていきましょう。

塔の上と下

何か高いものを例にとって考えてみましょう。

例えば、スカイツリーの上の方と下の方、というのを想像してみてください。

 

上は遥か遠くまで見渡せる、とても高い場所ですが、下は地面と同じ、もしくはさらに下の低い場所です。

 

では、少しおかしな話ですが、もし何もない宇宙の空間にポツンと、スカイツリーの展望フロアだけが存在していたら、そこは「高い」でしょうか?

何もない宇宙の空間にポツンと、スカイツリーの1階のフロアだけが存在していたら、そこは「低い」でしょうか?

 

では、何もない宇宙の空間にポツンと、スカイツリーだけが存在していたら、それは「高い」でしょうか?

何もない宇宙の空間にポツンと、平屋の家が存在していたら、それは「低い」でしょうか?


「高い」は「低い」がなければ存在できません。

「低い」は「高い」がなければ存在できません。

 

「高い」が生まれた瞬間、「低い」が生まれ、その間の無限の中間点が生まれます。

「低い」が生まれた瞬間、「高い」が生まれ、その間の無限の中間点が生まれます。


事実は、スカイツリーの展望フロアも、1階のフロアも、どちらも同じスカイツリーであるだけです。


「叶う、叶わない」というのも、これと全く同じことです。

 

「叶う」は「叶わない」がなければ存在できません。

「叶わない」は「叶う」がなければ存在できません。

 

「叶う」が生まれた瞬間、「叶わない」が生まれ、その間の無限の中間点が生まれます。

「叶わない」が生まれた瞬間、「叶う」が生まれ、その間の無限の中間点が生まれます。


事実は、「叶う」も「叶わない」も、どちらも同じ一つのものであるだけです。

叶うかもしれないし、叶わないかもしれない

あえて名前をつけるとしたら、「叶う」も「叶わない」も同じ「願望実現」というものの一部です。

 

「そこに、引き寄せというものの力によって叶えたい願望がある」

ということが、それ自体の中に、

「叶うと、叶わない」

を含んでいるのです。

 

でも、本当はそれはただの「願望実現」であるだけです。


「スカイツリー」は本当は高くも低くもありませんが、

  • スカイツリーの上と
  • スカイツリーの下

を見ている人の世界には、「高いところ」と「低いところ」が存在します。

 

「高いところと低いところがあるので」

その人は、高いところか、低いところか、その中間のどこかへ行くことになるでしょう。


同じように、本来の自然な状態の願望実現には、「叶う」も「叶わない」もありませんが、

  • 「叶う」と
  • 「叶わない」

を見ている人の世界には、「叶うことと叶わないこと」や「叶う人と叶わない人」が存在します。

 

「叶うと、叶わないがあるので」

その人は、叶うか、叶わないか、もしくはその中間のどこかの点を経験することになるでしょう。


これはただ、

「叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。何が起こるかわからない」

と、当たり前のことを言っているだけです。

 

ですが、これが真理なのです。

 

「叶う」と「叶わない」という両極を見ている人の世界には、両方の可能性が存在しています。

 

  • その人自身の経験を見てみても、叶うこともあれば、叶わないこともあるでしょう
  • その人の周りにいる人たちも、叶う人もいれば、叶わない人もいるでしょう
  • 時々叶う人も、たいてい叶う人も、あまり叶わない人もいるでしょう
  • 叶う人と叶わない人、どちらの割合が多いことも少ないこともあるでしょう

 

それが真理なのです。


あなたに、「叶えたい願望」があるのなら、それは叶うかもしれないし、叶わないかもしれません。

 

それは、

「どれだけ真剣に引き寄せを学び、取り組んでいるか」

ということでもなければ、

「どんないい方法を実践しているか」

ということでもありません。

 

「ただ、叶うかもしれないし、叶わないかもしれないだけ」

なのです。

 

この世界の中で生きるということは、両極の間を「運任せ」に進んでいくしかないということなのです。

 

少し抽象的でわかりにくいかもしれませんので、最後にもう少し整理してみます。

完璧な願望には「叶う」も「叶わない」もない

この世界には、完璧性しか存在していないということは、何度もお伝えしてきました。

 

その完璧な世界の中に、願望と呼ばれるようなものが現れたのなら、それは、そこに完璧に現れているのです。

そしてそれは、誰の何の努力も必要とせず、ただそれ自体で、完璧なルートを通って、完璧な場所へ流れていくだけです。

 

その流れの中に、

「叶う、叶わない」

という分かれ道はありません。

 

「ごはんを食べたい」

が現れたのなら、ただ静かに見ていれば、やがて自然と、もっとも完璧な形で、

「ごはんを食べる」

が現れます。

 

それが自然なのです。

 

仮に、スムーズに「ごはんを食べる」という形が現れなかったとしても、私たちが想像するのとは全く違う形で、完璧な結果が完璧に現れるだけのことなのです。

そこに、「叶う、叶わない」などという、おかしな概念はありません。


自然に現れた願望が、自然に流れ、自然と形を成していくという過程において、

「主体となる人」

は一切存在しません。

 

「その願望を叶えるために何かをする人」は存在しません。

それが自然なのです。

 

その、外側から静かに見守るべき、自然で、完璧な世界に入り込み、

「引き寄せるを実践する人」

という役になりきって、「自分の」その願望が叶うか、叶わないか、というゲームを始めてしまうと、

「叶うと、叶わない、という両極の間の、運任せのストーリー」

を味わうことになります。

 

そこでは、その人の願望は叶うこともあれば、叶わないこともあります。

なぜなら、そこに「叶うと、叶わない」があるからです。

 

「引き寄せの法則を実践する方法」

をどんなに研究しても、叶うこともあれば、叶わないこともある、という世界は変わりません。

 

「がんばって研究して努力した結果、叶う確率が上がる」

というストーリーもあるかもしれません。

 

「どんなにがんばっても、まったく引き寄せられない」

と悩むストーリーもあるかもしれません。

 

空想のストーリーの中のことは、誰にもわかりません。

すべては運任せです。

 

ですが、その運任せのゲームを楽しみたいと思ううちは、存分に楽しめばいいのです。

それはまったく悪いことではないし、何の問題もありません。

飽きるまで、思い切り楽しめばいいのです。

 

そして、その世界をたっぷり楽しみ、

「もうこんな世界は十分だ、ここから出たい」

と思った人だけが、

「叶うも叶わないもない、ただ完璧な本当の世界」

を見るための道を進み始めることになるのです。


結局、少し抽象的なままになってしまいましたが、ここから受け取れるものを受け取ってください。


今日も、ClearでCalmな世界を、ただ静かに見ていてください。

– Clear –


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